【会員コラム】台湾東海岸:「原住民」と出会う旅①

 皆様こんにちは。会員のTといいます。

 会員コラム第2弾は、海外の話題をお送りいたします。

 私は2019年の夏休みに2週間かけて台湾鉄道在来線での台湾一周一人旅を決行しました。今となってはとても良い思い出です。その2週間の中でも、特に印象に残ったのが台湾東海岸の旅でした。その内容を、すこし部会風にお話しさせていただきます。

 タイトルは「台湾『原住民』と出会う旅」。東海岸で出会った台湾「原住民」の文化や暮らしに注目しようと思います。台湾では「すでにいなくなってしまった」というニュアンスを持つ「先住民族」という言葉は使わず、公式に「原住民」と呼びますので、ここではこの表記を使用します。

 今となっては海外に行くなど夢のまた夢となってしまいましたが、旅気分でご覧いただければと思います。


台湾と「原住民」

 台湾の民族、文化として皆様が思い浮かべるものは、おそらく「中華」的なものではないでしょうか。もちろんそれも台湾の「一面」であることは間違いないですが、それ以外にも台湾には様々な出自を持つ人々が存在することを忘れてはなりません。その一つが、「原住民」です。彼らの文化や暮らしをご紹介する前に、そのあらましを、台湾の歴史に簡単に触れつつご紹介しましょう。

 現在、台湾の行政院が認定している原住民族とその分布は、以下の通りになります。

 各原住民族の名前を見ると、特に⑨⑩あたりは何となくハワイアンな印象を持たれる方もおられるかと思います。その印象は彼らの歴史に照らし合わせれば決して間違ったものとはいえません。台湾の原住民族は「オーストロネシア語族」であるとされています。言語や出土品、DNA等の分析結果より、一部の説では、アフリカでうまれたとされる人類はユーラシアの東の端までたどりついたのち、台湾を通ってポリネシアやミクロネシアに展開していき、オーストロネシア語族を形作っていったとされています(呉ほか.2018.p.5)。

 しかし先に述べましたように、多くの方が抱く台湾イメージはおそらく「中華圏」でしょう。それは、上掲の地図を見ても明らかなように、「原住民」の分布が東側に偏っており、オーソドックスな台湾の観光の目的地である台北・台中・嘉義・台南・高雄をはじめとする大都市がある西海岸の平野部には「原住民」が少ないからではないかと思います。

 でははじめからこのように「原住民」が東側に偏っていたのかと言えば、そうではありません。「台湾」の存在が地図に載らない頃は、台湾島全体に原住民が住んでおり、西海岸にも原住民の存在を示す地名も数多くあります(台湾の地名も奥が深いのでいずれご紹介しましょう)。しかし、16世紀以降対中国貿易の中継基地を求めていたオランダ東インド会社が台湾に進出し台湾で農耕に従事する漢民族を募集すると、急速に台湾に漢人が流入するようになり、原住民を東へ東へと押し出す形で自らの農耕地を拡大していきました(この辺りは民族分布の変遷ということで「空間」とかかわる議論ですので、機会があればまた記事を改めて書かせていただきます)。その結果、西海岸の平野に原住民が分布していない現状が生み出されたのです。


台湾「原住民」の暮らす土地①=台東県東河郷都蘭村・アミ族の村で見たもの

 話題を冒頭で触れた台湾一周旅行に戻し、まずはこの地域で「原住民」に触れるに至った経緯をお話しします。

 台湾南部の大都市・台南からスタートし、嘉義で3泊・台中で3泊・台北で2泊・花蓮で2泊の順で時計回りに旅を進めた第11日目のこと。花蓮市内の農協で買った非常にマズいリンゴ(「蘋果」と書いてあったからリンゴだと思うのですが、実際は水分を抜いたスッカスカのキュウリのような味でした。二度と食べたくないです。)を泣きそうになりながら食べていると、ふと次の街に行きたくなりました。そのままスマホを開き、宿泊予約アプリで条件をいつも通り「2000円以下・ホステル」に設定し、地図から次の目的地・台東の安宿の候補を探します。そのときふと、「いままで大都市ばかりに泊まっていたから、たまには田舎に泊まってみるのも悪くないかもしれない」と思いました。花蓮から台東を海岸線に沿って走る国道「台11線」は「花東公路」と呼ばれ景色がよい(湘南の国道134号のようなものでしょうか)ということを聞いていましたので、台東から台11線沿いに地図を動かしていきますと、「都蘭」という村にホステルが数件見つかりました。その中から一番条件がよさそうなところを選んで予約。行き方はわからないけれどなんとかなるだろう、という軽い気持ちで花蓮を出発しました。

 花蓮から特急で2時間ほどで、台東駅に到着します。ここから台11線を走り成功という街に行くマイクロバスに乗ると、大体1時間で目的のホステルのある「都蘭」にたどりつくことができます。コンビニ1軒・レストラン3,4軒・雑貨屋2,3軒・製糖工場をリノベーションした酒場が一軒。それだけ。ガイドブックにも載っていない小さな街は、台11線のごく小さな「宿場町」のような場所でした。

 ↑村の観光名所(?)「水往上流」。目の錯覚で、水が坂を上っているように見える。↑


 そんな経緯でたどり着いた都蘭ですが、ここは原住民のひとつ・アミ族が多く住む場所です。花蓮県から台東県にかけては原住民人口比率が非常に高く、原住民が台東県人口に占める割合は35.5%に上ります(台北駐日経済文化代表処.2015)。そんな土地柄もあってか、選挙ポスターも特徴あるものとなっていました。

↑選挙の立て看板。右下の「懇請支持」の上にアミ語で翻訳が振ってある。↑


 35%が原住民である台東県。アミ語は様々な場所で見ることができます。花蓮と台東を結ぶ花東線の普通電車の自動車内放送には、北京語・台湾語・客家語・英語のほかに、アミ語もついています。そのようにある程度積極的に原住民の言葉を使って生活を営めるように配慮されているからでしょうか、都蘭の食堂では中国語でコミュニケーションをとろうとしても通じませんでした。中国語が通じないということは、少なくとも台東県のこの地域に限って言えば原住民が中国語を使わなくても日常生活ができる程度のコミュニティ基盤を維持し続けられていることの表れでもあります。とても興味深いことです。

↑都蘭のあらましを記した案内板と、この地域のアミ族が聖山と仰ぐ都蘭山↑

案内板の要約:都蘭は台湾東部海岸南部の最大集落であり、東側にはアミ族が聖山と仰ぐ都蘭山がそびえる。都蘭地区は石が多く、アミ語の「石が積もっている」という意味のatolanという地名が付き、それが現在の都蘭(Dulan)となった。


 地名も原住民の言葉が由来だったのですね。この地を訪れると、台湾に対する固定的なイメージが打ち払われます。「○○人」という枠組みを取り払うことができた、とても良い経験をさせてくれた村でした。

 ここで2泊し、続いて訪れた村も原住民の暮らす村でした。そこでは原住民の宗教に触れることができたのですが…少し原稿が長くなってしまいましたので、ここでいったん区切らせていただきます。

 私の次のコラムは「台湾の原住民と宗教」についてということで、どうぞお楽しみに。


【文献】

呉密察.臺灣歴史地図.國立臺灣歴史博物館,遠流出版公司.2018.

周婉窈.図説台湾の歴史.平凡社.2007

2014年末の台湾先住民族人口は約54万人、アミ族が最多.台北駐日経済文化代表処HP.2015.2.26(最終更新2016.1.28).最終閲覧2021.1.28


※本コラムに掲載する内容は、会員個人の見解や調査の内容に基づくものです。当会公式の発表ではありませんので、ご承知おきください。



早稲田大学地理学研究会

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